今回の記事では、英語版ブログサイトBehind The Benchの記事から、細胞周期の制御やがんにも関連するPI3K/AKT/mTORシグナル伝達経路の研究にご使用いただける抗体についての情報をお伝えします。
▼もくじ
はじめに
細胞は、分子レベルで制御されている機能タンパク質を介し、成長・増殖・分化しています。しかし、この分子制御が正常でなくなった際には、タンパク質が誤作動を起こす場合があります。その結果、細胞が異常に増殖してしまい、良性腫瘍や悪性腫瘍が発生することがあります。良性腫瘍(皮膚のイボなど)は、発生部位に限定されるため、周囲の組織に浸潤することはありません。一方、悪性腫瘍は、周囲の組織に浸潤する可能性があり、血管系やリンパ系を経由して体内の他の場所に転移することもあります。悪性腫瘍は急速に拡大して治療に対して抵抗力を持つようになり、がん治療の臨床的な課題を誘起します。
分子レベルでは、細胞の正常な振る舞いを阻むような遺伝学的異常が原因のシグナル伝達経路の変化は、がんと強く関連し、細胞内プロセスに悪影響を及ぼすことでがんの進行を促進します。さらにがんの進行には、腫瘍細胞・隣接する非腫瘍細胞・細胞外マトリックスの間での複雑な相互作用も関連しています。このため、ここ数十年間のがん研究では上記の相互作用を解明することに焦点が当てられてきました。抗体は、分子間の相互作用や病気のメカニズムを解明するためだけでなく、がんの治療にも有効的に使用されてきました。
今回は、複数のがんに関与しているPI3K/AKT/mTORシグナル伝達経路に着目して、生物学的研究に利用できる抗体をご紹介します。
PI3K/AKT/mTORシグナル伝達経路
PI3K/AKT/mTORシグナル伝達経路は、細胞周期の制御に重要であることが知られており、細胞増殖・アポトーシス・がんに直接的な影響を与えます(図1)。正常な状態では、PI3Kは成長因子・サイトカイン・ホルモンなどの刺激によって活性化されます。活性型PI3Kは、細胞膜に局在するリン脂質であるPIP2のリン酸化を触媒し、PIP3へ変換します。そして、リン酸化されたPIP3は、AKTなどの脂質結合キナーゼを細胞膜に移行させるための結合の足場として機能し、その後、細胞の成長および生存経路が活性化されます。乳がん・大腸がん・肝臓がん・脳腫瘍など多くのがんでPI3K/AKT/mTORシグナル伝達経路が活性化され、腫瘍の悪性化を抑制できなくなり、抗がん剤治療に対する抵抗性が高まる一因になっているとの報告があります(1)。

図1 PI3K/AKT/mTORシグナル伝達経路
当社の「がん増殖シグナル伝達経路の探索ガイドブック」より抜粋
AKTコンポーネント
AKT(プロテインキナーゼBまたはPKBとしても知られている)は、3つの非常に相同性の高いタンパク質(AKT1、AKT2、AKT3)のセットを指し、重要な細胞プロセスを制御するだけでなく、多くのヒトがんにおいて遺伝的に増幅されて恒常的に活性化していることが判明しています。AKTの活性化は、pleckstrin homology(PH)ドメインを介してPIP3と結合することで起こり、キナーゼ活性化によるリン酸化を引き起こすことにつながります。活性化されたAKTは、細胞周期の進行や増殖、タンパク質合成など、さまざまなプロセスに関与するいくつかの機能タンパク質を制御することができます。図1に示すように、AKTはPI3K/AKT/mTORシグナル伝達経路において重要な役割を果たすため、がん治療の注目するべき生物学的ターゲットであると言えます。PI3KカスケードにおけるAKTの上流に変異があると、発がんにつながる可能性があります。
mTOR コンポーネント
mTORは、PI3K/AKT/mTORシグナル伝達経路における機能制御の中心的な役割を果たす、重要な下流エフェクターです。mTORは、構造的にも機能的にも異なる2つのタンパク質複合体、mTOR complex 1(mTORC1)とmTOR complex 2(mTORC2)の触媒サブユニットとして働きます(2)。
mTORC1はタンパク質合成の活性化に関与する、細胞成長のマスターレギュレーターです。その活性は、ラパマイシン、インスリン、成長因子によって調節されます。恒常的なmTORシグナル伝達は、リボソームS6キナーゼ(S6K)を活性化し、Eukaryotic translation initiation factor 4E(eIF4E)-binding protein 1(BP1)活性を阻害することにより、mTORC1によるタンパク質合成が活性化されます。その結果、タンパク質の合成だけでなく、脂質合成やミトコンドリアの生合成、細胞増殖が抑制されなくなり(3, 4)、がん化が引き起こされます。
mTORC2は、細胞増殖、細胞遊走、細胞骨格のリモデリングを制御することが知られています。成長因子に応答して、mTORC2はAKTの活性化を通して、細胞の代謝と生存を調節します。遺伝的変異や遺伝子増幅、mTORC2の恒常的な活性化によるmTORC2の制御異常は、グルコース代謝や脂肪生成を変化させてがんの一因になります。
PI3K/AKT/mTORシグナル伝達経路におけるPTENの役割
Phosphatase and tensin homolog(PTEN)は、PI3K/AKT/mTORシグナル伝達経路における重要な分子です。PTENはこの経路のネガティブレギュレーターであり、PIP3を脱リン酸化する機能により、この経路におけるAKTの活性化を阻害します。多くのがんでは、PTENの活性が低下し、PI3Kカスケードの恒常的な活性化につながっています。PTEN活性の喪失は、脳腫瘍、乳がん、前立腺がんなどに関与しています(5)。
PI3K/AKT/mTORシグナル伝達経路の過剰な活性化につながるメカニズムを理解することは、がんに対する治療標的を特定・進展させるために不可欠です。がんにおいて変異や染色体転座などの遺伝的要因は重要ですが、一方で抗体は、これらのメカニズムを分子レベルで解明するために不可欠な研究ツールです。しかし、用いる抗体の特異性が低いと、再現性のある結果を得ることができず、実験の信頼性に疑問符がつくことがあります。そのため、正しいターゲットに結合し、目的のアプリケーションで機能する抗体を選択することが研究を進めていく上で極めて重要です。
PI3K/AKT/mTORシグナル伝達経路の研究のための抗体
サーモフィッシャーサイエンティフィックは、PI3K/AKT/mTORシグナル伝達経路において重要な複数のタンパク質に対する抗体を提供しており、ウェスタンブロットや免疫蛍光染色などのアプリケーションで検証されています。これらの抗体は、siRNAもしくはCRISPR-Cas9システムを用いて遺伝子機能を改変した細胞モデルで標的特異性が検証されています。具体的には、細胞から標的タンパク質をノックアウトもしくはノックダウンし、それに対応したタンパク質の発現が抗体で検出できなくなることから、抗体の標的特異性が検証されています(図2)。

図2 PI3K/AKT/mTORシグナル伝達経路に特異的な抗体
A. Invitrogen™ PI3KCA Monoclonal Antibody (H.843.0) (製品番号 MA5-14870)
B. Invitrogen™ AKT Pan Monoclonal Antibody (J.314.4)(製品番号MA5-14916)
C. Invitrogen™ mTOR Monoclonal Antibody (GT649)(製品番号MA5-31505)
D. Invitrogen™ Phospho-p70 S6 Kinase (Thr389) Monoclonal Antibody (R.566.2) (製品番号MA5-15202)
E. Invitrogen™ 4EBP1 Monoclonal Antibody (E.992.6)(製品番号MA5-15005)
F. Invitrogen™ PTEN Monoclonal Antibody (2F4C9)(製品番号 32-5800)
A, C-Fでは、Invitrogen™ Lenti Array™ CRISPRライブラリーを用いて、CRISPR-Cas9安定KO株を作成し、抗体の特異性を検証しました。Bでは、Invitrogen™ Silencer™ Select siRNA (製品番号 s11094)を用いたノックダウンにより、抗体の特異性を検証しました。
まとめ
「がん増殖シグナル伝達経路の探索ガイドブック」には、今回のブログでご紹介したPI3K/AKT/mTORシグナル伝達経路だけでなく、Ras/Raf/MEK/ERK(MAPK) シグナル伝達経路やWnt/β-カテニン シグナル伝達経路についても記載があります。研究に役立つ抗体関連製品の情報を確認することができますので、皆さまの研究にお役立てください。
また、複数のがん研究領域における興味深い最新の発見を可能にする遺伝子解析技術を紹介するハンドブックも配布しています。併せてごらんください。
当社ではRNA抽出やリアルタイムPCR、他にも細胞培養、ウェスタンブロッティングなど、実際に実験(実習)を行いつつ学べる各種ハンズオントレーニングを開催しています。その中で今回のような実験結果もご紹介していますので、これから新しい実験を始められる方、より理解を深めたい方はぜひご参加ください!
原文(英語版)はこちら
Accelerate cancer research with PI3 kinase pathway-specific antibodies
References
(1). Ningni Jiang, Qijie Dai, Xiaorui Su, Jianjiang Fu, Xuancheng Feng, Juan Peng Mol Biol Rep. 2020; 47(6): 4587–4629. Published online 2020 Apr 24. doi: 10.1007/s11033-020-05435-1 PMCID: PMC7295848
(2). Angelia Szwed, Eugene Kim, Estela Jacinto Physiol Rev. 2021 Jul 1; 101(3): 1371–1426. Published online 2021 Feb 18. doi: 10.1152/physrev.00026.2020 PMCID: PMC8424549
(3). Tian Tian, Xiaoyi Li, Jinhua Zhang Int J Mol Sci. 2019 Feb; 20(3): 755. Published online 2019 Feb 11. doi: 10.3390/ijms20030755 PMCID: PMC6387042
(4). Cedric Magaway, Eugene Kim, Estela Jacinto Cells. 2019 Dec; 8(12): 1584. Published online 2019 Dec 6. doi: 10.3390/cells8121584 PMCID: PMC6952948
(5). Li J, Yen C, Liaw D, Podsypanina K, Bose S, Wang SI, Puc J, Miliaresis C, Rodgers L, McCombie R, et al. PTEN, a putative protein tyrosine phosphatase gene mutated in human brain, breast, and prostate cancer. Science. 1997; 275: 1943–7.
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