「細胞培養の完全サポートガイド」は、細胞培養に初めて挑戦される方や、まだ経験の浅い方に向けて、基礎知識や準備についてわかりやすく解説していきます。その1は、無菌操作に必要な設備や装置について、なぜ必要なのか、何に使用するのか、また製品選択時のポイントや注意点についてです。
細胞培養※1では、体の外、つまり人工的な環境で細胞を維持します。しかし本来、細胞たちが暮らすのは体内。そのため、細胞培養を行うわれわれは、細胞にとって快適な「体内に近い環境」を体外で整えてあげなくてはなりません。さらに、細胞にとって快適な環境を維持するために、もう一つ欠かせない大切なことがあります。それが無菌操作です。
無菌操作とは、環境中に存在する細菌やマイコプラズマなどの微生物に、細胞が汚染されないための一連の手順を指します。細胞が汚染されてしまうと、増殖が妨げられたり、細胞死を引き起こしたり、実験そのものの信頼性が落ちたりします。つまり、無菌操作は、細胞たちにとって快適な環境を守るための盾であり、信頼性の高い研究結果を得るための鍵です。
この細胞たちの小さな世界を守るために、細胞培養を始める前に無菌操作ができる環境を整えましょう。
細胞培養室の準備
無菌操作のために、何よりも最初に用意するのは「培養室」です。培養室とは、細胞培養のために特別に設計された部屋を指します。
- なぜ必要?
細胞は非常にデリケートで、その周辺環境が整っていなければ、コンタミネーション(以下コンタミ)によって実験が台無しになってしまうことがあるからです。なお、コンタミとは、試薬や水中の不純物などによる化学的汚染と、細菌やマイコプラズマ、他の細胞による相互汚染などの生物学的汚染の2種類があります。細胞培養では両方を防がなくてはなりません。また、細胞培養ではウイルスや特定の病原菌に感染した細胞など、ときに感染性があるものを扱うこともありますので、他の実験室とは隔たれた専用の実験室を設け、感染拡大の防止やバイオセイフティ―レベルの確保をしなくてはならないためです。
- 何に使用?
培養室は、細胞の培養、細胞の観察やカウント、細胞の凍結保存、培地や試薬類の保管、遺伝子導入などの無菌操作など、細胞に関する一連の実験を行うために使用します。CO2インキュベーター、安全キャビネット、遠心機、位相差顕微鏡、恒温槽、冷蔵庫や冷凍庫など、細胞培養実験に必要な設備を一カ所に集めることで、作業効率を向上させます。

図1. 培養室の一例
- 培養室設置時の注意点は?
事前に、動線を想定してレイアウトを整えておくことです。図1は培養室の一例です。こういった例を参考にして、設備一式を購入する前にレイアウトを考えておきましょう。動線が大切なのは、無駄に動いてほこりが立つのを防ぐことで、コンタミのリスクを軽減し、無菌環境を維持しやすくするためです。さらに、実験室は常に整頓し、視線を遮るものがないようにするのがおすすめです。納品された段ボールはなるべくそのまま置いておかず、常に清潔に保つよう心がけましょう。
また、培養室は、実験室の奥など、人通りが少ないところに設置されることが多いです。清潔を保つために、培養室入室前に手洗いができるよう手洗い場を設けておきましょう。また、施設や扱う細胞にもよりますが、専用の白衣やスリッパに履き替えたり、ヘアキャップやマスクを着用したりすることもあります。さらに、入室前にエアシャワーのスペースを用意することもあります。
細胞たちの世界を守るためには、まず環境から。各ご施設で、培養室や細胞培養における運用ルールを設け、実験者一人ひとりが守り、無菌環境を維持するための意識を持つことが何よりも大切です。
では培養室に設置する機器のうち、無菌環境を維持するために使われるものをピックアップしていきます。
安全キャビネットとクリーンベンチ
無菌操作を行うために必要な装置として真っ先に挙げられるのが、安全キャビネットとクリーンベンチです。外部の汚染から大切な細胞や作業を守るために絶対に欠かせない、透明な仕切り板付きの装置です。
- なぜ必要?
安全キャビネットやクリーンベンチが、無菌環境を提供するためです。外部からの汚染物質(細菌やウイルスなど)が作業エリアに侵入するのを防ぐことで、コンタミのリスクを大幅に減らすことができます。
- 何に使用?
培地や試薬の調製や分注、培地交換(古い培地を新しい培地に交換)や継代(細胞を新しいフラスコやディッシュに移す作業)、トランスフェクション(遺伝子などを細胞に導入)などの無菌操作が必要な一連の作業を、安全キャビネットやクリーンベンチ内で行います。
- 装置を選ぶときの注意点は?
- クリーンベンチ
庫内を陽圧にして、HEPAフィルター※2を通した清浄な空気を水平または垂直に流すことで、サンプルを無菌状態に保ちますが、作業者の保護は行いません。
※2.High Efficiency Particulate Airフィルターの略で、微粒子を高い効率で捕捉するフィルターのこと - 安全キャビネット
庫内を陰圧にし、HEPAフィルターを通した空気を上から下に流すことで、サンプルを無菌状態に保ちます。さらに、庫内の空気が外部に漏れないように設計されているため、作業者および環境を保護します。図2. クリーンベンチと安全キャビネット
さらに、安全キャビネットはクラスIIやクラスIIIなど、取り扱う物質の危険性に応じて選ぶ必要があります。一方、クリーンベンチは作業者の安全を保護していない点に注意してください。また、製品を選ぶときは、フィルターの交換や清掃方法も確認しておきます。これらが容易な装置を選ぶと、日々のメンテナンスが楽になります。
まず、目的や、扱う物質によって、安全キャビネットかクリーンベンチのどちらかを選択します。この2つはイコールではなく別物ですので、まずはその点を抑えましょう(図2参照)。
- キャビネット内のレイアウトを工夫する
- 左側に、培地や培養物を置き、作業中の汚染を防ぐ
- 中央に、広くて清潔な作業スペースを確保し、作業効率を高める
- 右側に、ピペットやチップを置き、すぐに手に取れるようにしておく
- キャビネットや椅子の近くに70%エタノールを置いておき、キャビネット内に持ち込む物品を消毒しやすいようにする
実験しやすい環境を整えることは、コンタミネーションを防ぐことにもつながります。細胞培養実験を始める前に、キャビネット内のレイアウトを決めておきましょう。
下図は、右利きの場合のキャビネット内のレイアウト例です。作業するための一般的なレイアウトで、クリーンなものを左に、中央で実験作業を行い、汚染されたものを右に置いています。
配置のポイントは以下のとおりです。
参考ブログ:
無菌操作で使用する器具と消耗品
さて、キャビネットの準備ができたら、次はキャビネットの中で使用する主な器具や消耗品を用意しましょう。
下表に、細胞培養においてキャビネット内で使用する主な物品を示しました。
器具 | 消耗品 | 主な用途 |
電動ピペッター![]() |
ディスポーザブルピペット![]() |
1~50 mLの分注に使用 |
マイクロピペット![]() |
チップ![]() |
1 μL~1000 μLの分注に使用 |
– |
培養用ディッシュ(左)やフラスコ(右)![]() |
細胞の増殖や長期間の培養に使用 |
– |
マイクロプレート![]() |
多サンプルを同時に評価する場合や細胞関連アッセイ時に使用 |
– |
マイクロチューブ、遠心チューブ![]() |
培養液から細胞を収集するときなど、さまざまな用途に使用 |
各種ラック![]() |
– | 遠心チューブやマイクロチューブを立てておくのに使用 |
アスピレーター | アスピレーター用チップ | 培地や試薬の吸引に使用 |
- これら以外にも、アプリケーションに応じてチェンバースライド、セルカルチャーインサート、オプティカルボトムプレートなどを使用することもあります。
- 培地などの試薬類は別のブログでご紹介します。
これらの器具は、いずれも無菌的かつ正確に操作を行うために使用します。各「消耗品」は必ず滅菌済みのものを使わなければなりません。電動ピペッターなどの「器具」は、キャビネット内へ持ち込むときに70%エタノールで消毒します。
それぞれの器具や消耗品の選択ポイントは以下のとおりです。
- 電動ピペッター&ディスポーザブルピペット
容量範囲、使いやすさ、バッテリー寿命、使用するピペットとの互換性などはもちろん、万が一細胞を吸い込んでしまったときのフィルター交換のしやすさなどを基準に選ぶのがおすすめです。ディスポーザブルピペットは、1 mL、5 mL、10 mL、25 mLなど複数の容量のピペットが常備してあると、用途に応じて使い分けられるので便利です。
- マイクロピペット&チップ
普段使い慣れているものを、できれば細胞培養用に用意しましょう。新しく用意する場合は、マイクロピペットとチップの互換性をあらかじめ確認しておく必要があります。チップは必ず滅菌済みのものを。また、マイクロピペットが汚染されないように、さらに汚染されたマイクロピペットで大切なサンプルがコンタミを起こしてしまわないように、フィルター付きのチップが便利です。
- ディッシュとフラスコ
- ディッシュ
- メリット:作業をするときはふたを外すだけのため操作がしやすい点、コストが安い点
- デメリット:開放面積が広いため上方からのコンタミに注意しなければならない点
- フラスコ
- メリット:操作範囲が狭いためコンタミが抑えられやすい点、密封できるため持ち運びがしやすい点、大容量向きの製品がある点
- デメリット:キャップの開閉がディッシュよりも手間がかかる点、コストが高い点
それぞれのメリットとデメリットを把握した上で使い分けがおすすめです。
さらにフラスコには主に通気性キャップと密閉キャップなど、複数のキャップタイプがあります。通気性キャップは締め切った状態でもガス交換が可能です。一方、密閉キャップは決められた位置に緩めておかないとガス交換が行われません。開放系培養または閉鎖系培養など、培養条件に応じたキャップを選んでください。
また、各ディッシュやフラスコでは培地を何mL使用するか、また、細胞がコンフルエンシーに達したとき細胞数がどのくらいになるのかなどの目安値をまとめた関連記事(細胞培養用ディッシュとフラスコに関する有益な数値まとめ)を参考にして選ぶと便利です。
- マイクロプレート
多数のサンプルや条件を同時に評価する場合や、特定の細胞関連アッセイの場合などに使用します。ウェル数に応じた培地量などは、関連記事(細胞培養用ディッシュとフラスコに関する有益な数値まとめ)を参考にしてください。
ディッシュやフラスコ、マイクロプレートには、表面処理が施されたものがあります。たとえば接着細胞の培養にはThermo Scientific™ Nunclon™ Delta表面処理など、細胞の接着性を向上させるための処理が施されたものが推奨されます。浮遊細胞の培養には、表面処理が施されていないタイプも使用可能です。また、Nunclon Delta処理では接着しにくい細胞向けに、細胞接着性がより期待されるコラーゲンタイプⅠやポリ-D-リジン処理が施された製品もあります。
まとめ
無菌操作を維持するための設備や器具を紹介しましたが、上でも述べたとおり、一番大切なのは無菌状態を維持するための意識です。大切な細胞たちが、快適な環境で安心して生きられるよう、細胞培養を始める前に、無菌操作に必要な設備や器具についてしっかり理解しておきましょう。
次回は培養に必要な装置について取り上げます。
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