組織培養とは、生体から取り出した立体的な組織を生体外で培養する技術のことを指します。より広い定義では、単層の細胞培養も含めることがあります。実験の目的や技術的な難易度などから、組織培養は細胞培養の応用版ととらえられがちです。しかし、歴史的な経緯をたどってみると、単層の細胞培養が試みられる以前に組織培養の技術が成立しており、これは技術的な必然だったことがわかります。細胞培養の成立の経緯についても当社のブログで触れているので、ご興味のある方は合わせてお読みいただければと思います。
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当記事では、約200年前の「組織」の発見から、1800年代末から1900年代初頭にかけての組織培養の成立に着目して、当時の文献を追いかけたいと思います。組織培養や細胞培養に必須の製品群を扱っている当社のGibco製品は、2022年に誕生60周年を迎えました。特集Webサイトにさまざまな特集記事や培養実験に役に立つハンドブックが集められております。ぜひお立ち寄りください。
▼こんな方におすすめです!
・細胞培養や組織培養をこれから始める方
・細胞培養や組織培養の歴史に興味のある方
▼もくじ
ハイライト
・1885年にRouxが、ニワトリ胚の組織片を生理食塩水中で維持した実験が組織培養の源流とされています。
・1907年にHarrisonが、ハンギングドロップ法によってカエル胚由来の組織片をリンパ液中で培養し、神経線維の伸長を確認しました。
・1911年以降、BurrowsとCarrelはHarrisonの培養法を改良し、脊椎動物由来の組織や腫瘍組織の組織培養を可能にしました。
・組織培養は、Trypsinを用いた細胞の乖離と継代方法を1916年に発表したRousにより、細胞培養に発展していきました。
組織培養の成立の概要
Johns Hopkins UniversityのBloomberg School of Public Health(ブルームバーグ公衆衛生大学院)のWebサイトにある年表「Timeline of Tissue Culture」によると、1801年のBichat(ビシャ)の研究が、組織培養の源流と位置付けられています。フランスの解剖学者・生理学者であるBichatは、人体の諸器官を構成する組織を21種類に分類し、その著書「一般解剖学」(全4巻)に記述しました。実験手法としての組織培養の実質的な起源は、1885年のRoux(ルー)の実験だとされています。ドイツの発生学者のRouxは、ニワトリ胚のmedullary plate(神経組織に分化する原始外胚葉の一部)から採取した組織を、温めた生理食塩水中で数日間維持したことを報告しました。
Rouxの実験結果の影響を受けたアメリカの生物学者Harrisonは、カエル胚のmedullary plate由来の組織片をリンパ液中で培養し、生体外で神経線維が伸長した様子を初めて観察しました(1907年)。また、Harrisonの培養技術を学んだBurrows(アメリカの外科医・病理学者)とCarrel(フランスの外科医・生物学者)は、Harrisonの実験方法の改良を進め、哺乳動物由来の組織の培養実験や、腫瘍の培養実験を可能にしました(1910年~)。
これらの研究によって成立した組織培養は、後年の単層の細胞培養の成立につながるとともに、スフェロイド、細胞シート、オルガノイドなどのさまざまなアプリケーションに展開していきます。当記事では、組織培養の成立に最も重要な貢献をしたとされるRoux、Harrison、Burrows、Carrelらの研究を追いかけていきます。なお、参考文献1に、これらの研究者の業績のエッセンスがまとめられているため、当記事の作成にあたり参考にしました。
[参考文献1]
Wessel GM (2011) “The sub-culture of cell culture.” Mol. Reprod. Dev. 78(2) (PMID: 21337446)
実験発生学の提唱者―Rouxの組織培養実験
上述のように、1885年にRouxは、ニワトリ胚のmedullary plateから摘出した組織片を温めた生理食塩水中で13日間維持したことを報告しました。この研究が組織培養実験の実質的な起源とみなされています。
[参考文献2]
Roux W (1885) “Beitrage zur Entwicklungsmechanik des Embryos.” Z. Biol. 21:411-526
140年近く前の原文を入手することができず、また、入手できたとしてもドイツ語の文献を読み解くことは困難なので、ここからは参考文献1の記述をお借りしています。Rouxは、自身の培養系での観察において、通常の胚発生中に起こる形態的変化が培養組織で再現されたと記述しています。Rouxが開発した培養系(生理食塩水を培地として採用し、滅菌状態を維持すること)は、当時としては十分に革新的でした。しかしそれ以上に、培養系で通常の発生現象を再現し、その過程を観察することができることを示した点で、後世の研究者に大きな影響を与えたと指摘されています。Rouxが提示したコンセプトは、現在も行われているさまざまな組織培養実験に共通する重要なポイントだと考えられます。
ここで、本章の見出しにある「実験発生学の提唱者としてのRoux」について、話を脱線させることをお許しください。参考文献2のタイトルにある「Entwicklungsmechanik」は直訳すると「発生力学(developmental mechanics)」となります。これは、発生現象を力学的な視点で解析することを意味しているのではありません。当時の発生学の主流はHaeckel(ヘッケル)に代表される比較発生学(comparative embryology)でした。比較発生学は、発生過程を詳細に観察して比較することによって進化・系統発生を理解しようとするアプローチの学問分野です。
一方、Rouxは、Haeckelらに相対するアプローチとして、実験対象の胚に人為的な操作を加えてその結果を観察することにより、発生メカニズムを能動的に探ることを提唱しました。「発生力学」という名称は上述のような誤解を招きやすいため、「実験発生学(experimental embryology)」と訳されることが多いようです。Rouxのアプローチは現代の発生学者にとっては標準的ですが、当時としては革新的であり、反発を招くこともあったようです。最も有名なRouxの実験は、2細胞期のカエル胚の片方の細胞を熱した針で殺す実験でしょう。この実験から得られたRouxの解釈は後年に修正されるものの、Spemann(シュペーマン)とMangold(マンゴルド)による胚誘導とOrganizerの発見(1924年)や、Nieuwkoop(ニューコープ)による中胚葉誘導の発見(1969年)につながる、「実験発生学」を象徴する実験でした。これらについては多くのWeb記事や書籍があるのでご参照ください。
組織培養で神経線維の伸長を観察―Harrisonの実験
1907年、Harrisonは組織培養で神経線維の伸長を観察したことを発表しました。その前年の1906年、イタリアの内科医Golgi(ゴルジ:網状説を提唱)とスペインの神経解剖学者 Cajal(カハール:ニューロン説を提唱)が、ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。その受賞理由は神経系の構造研究に対してであり、両者は現代の神経科学の礎を築いた巨人とされています。両者の研究業績や学説の対立などについては、Web上に多くの記事があるのでご参照ください。Cajalは、神経線維は1つの細胞から伸長したものだと考えていましたが、組織標本の染色像からの推定であり、直接的な観察はなされていませんでした。
この仮説を検証するため、Harrisonは両生類の幼生の神経組織を胚のさまざまな箇所へ異所的に移植して観察しましたが、確定的な結果は得られませんでした。このような状況において、Rouxの研究を知ったHarrisonは、カエル胚を用いた組織培養に着手しました。Harrisonは摘出した組織片を、生理食塩水ではなく成体のカエルから採取したリンパ液中に置きました。リンパ液は生体外で直ちに凝固し、組織の位置をカバーガラス上で固定できるため好都合でした。固定された組織片に生理食塩水の液滴を乗せてひっくり返し、凹みのあるスライドガラス上に設置してパラフィンで固定しました。文章に書き起こすとイメージしにくいのですが、「ハンギングドロップ法」のオリジナルとみなされている手法です(Harrisonのハンギングドロップ法の画像検索はこちら)。ハンギングドロップ法は、現在では細胞懸濁液から細胞凝集体を作製する手法として用いられていますが、その原型は組織培養法として考案されたものでした。Harrisonはハンギングドロップ法により、神経細胞からの神経線維の伸長を観察したことで、Cajalの仮説を裏付けることとなりました。Harrisonは上記以外にも多くの組織培養実験を行っており、興味深い文献が多数残されていますが、紙幅の都合により割愛します。
[参考文献3]
Harrison RG (1907) “Observations on the living developing nerve fiber.” Proc Soc Exp Biol. 4(1):140-3
※この文献は学会の紀要のためか、PubMedに収録されていません。また、残念ながらHarrisonのスケッチなども掲載されておりません。
[補足]
細胞凝集体の作製法として長く用いられていたハンギングドロップ法ですが、現在は低吸着性プレートを用いる作製法が主流になりつつあります。凝集体作製の再現性、操作の簡便性、顕微鏡観察のしやすさなど、多くの点で優れています。
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組織培養の応用範囲の拡大したBurrowsとCarrel
Harrisonから組織培養法を学んだBurrowsとCarrelは、1910年代に多数の研究成果を発表しています。その業績のすべてに触れることはできないので、両者の研究の初期の代表的な文献に触れたいと思います。
[参考文献4]
Carrel A & Burrows MT (1911) “Cultivation of tissues in vitro and its technique.” J Exp Med. 13(3):387-96 (PMID: 19867420)
Carrelは、組織培養に着手した同時期の1912年にノーベル生理学・医学賞を受賞しており、すでに研究者としての名声を得ていました。その受賞理由は組織培養についてではなく、血管縫合と血管および臓器の移植に関する業績です。Carrelは血管吻合技術を開発し、イヌの腎臓や膵臓を用いた臓器移植を試みたことから、臓器移植研究の先駆者として知られています。
BurrowsはHarrisonから教えを受けて組織培養法を学び、血漿培地をリンパ液由来から血液由来に改良しました。そして、ニワトリ胚由来の中枢神経組織、心臓、間質組織の培養に成功しました。これは、Harrison式の組織培養を温血動物組織へ初めて応用した事例とされています(Harrisonはカエルを実験材料としていた)。
BurrowsとCarrelはさらに改良を進め、小組織片の培養に向いているHarrisonのハンギングドロップ法に加えて、ガラスプレートを用いることにより大きめの組織に適用できる培養法を開発しました。これにより、イヌ、ネコ、ニワトリ、ラット、モルモットの成体や胎児由来の組織の培養を可能としました(培養の可否の基準は、細胞の増殖が観察されたかであって、各組織としての機能の維持などについては評価していないと思われる)。また、数種類の腫瘍を培養できることを確認し、ラウス肉腫については培養後の細胞をニワトリに移植することにより、培養後も腫瘍形成能を維持していることを確認しています。
このような培養系の改良とともに、BurrowsとCarrelは観察器材の改良も行いました。培養状態を維持したままサンプルを観察するために、顕微鏡に加温ステージを組み合わせたことを記述しています。現在の顕微鏡ステージインキュベーターにつながるアイデアと言えるでしょう。しかしながら、さまざまな工夫にもかかわらず、培養したサンプルの状態を記録する方法に苦心した記述が残っています。
当時は、記録方法として顕微鏡をのぞきながらのスケッチと写真撮影が併用されていました。Burrowsらは、軟骨や腹膜由来の組織のように緩やかに増殖する組織のスケッチは可能だが、腫瘍組織のような増殖が速いサンプルのスケッチは不可能であると記述しています。増殖が速いサンプルといっても、みるみるうちに増えるものではありません。裏を返せば、当時の研究者はそれだけ時間をかけて緻密なスケッチを残したということだと思われます。
サンプルの継時変化を克服するためには、写真撮影による記録がベストだとBurrowsらは指摘しています。しかし、培養組織の中心部などの高密度領域の細胞を識別できない、ピント面が少しずれるとうまく撮影できないなど、簡単ではなかったようです。当時は位相差顕微鏡が発明される20年前でした。100年後の世界では技術レベルが格段に進歩し、おそらく彼らが想像した以上の培養・撮影環境が市販されています(Invitrogen™ EVOS™ Cell Imaging Systems | Thermo Fisher Scientific – JP)。
ここまで追いかけてきた一連の組織培養の研究は、1916年のRousらによる史上初の細胞培養実験につながります。Rousの実験や、Trypsin-EDTAが細胞培養に使われるようになった経緯などについて興味がある方は、関連記事をお読みいただければと思います。
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