▼もくじ
1. お客様:北里大学 理学部物理学科物性物理学研究室 小寺義男先生
小寺 義男(PhD)先生
北里大学 理学部物理学科物性物理学研究室・教授
北里大学 理学部附属疾患プロテオミクスセンター・センター長
濃度のダイナミックレンジが広い血漿タンパク質の中から微量のペプチドを見つけることは、現在の質量分析計でも困難です。しかしながら2010年、血液中から回収されるペプチド量を飛躍的に向上させる新しい前処理技術が開発され、分析が難しかった微量ペプチドホルモンの直接検出が可能になりました。
今回はこの技術を開発された北里大学の小寺先生に研究背景や弊社分析機器の使用感など、お話を伺いました。
2.プロテオミクスとの出会い
―― 現在、小寺先生はプロテオミクス分野を牽引されていますが、プロテオミクスをご自身の研究分野として選ばれた背景を教えてください。
小寺先生(以下「小寺」敬称略) :
私の研究者としてのキャリアはESRやNMRといった磁気共鳴を使った生物物理研究からスタートしました。こうした研究で精製したタンパク質の立体構造と機能の関係を調べている中で、そのタンパク質の本来の機能を知るには構造だけではなく、タンパク質が置かれている場を知ることも非常に重要だと思うようになりました。
例えば、誰もいない部屋にポツンと一人でいる人を見ていても、その人の性格はなかなか分からない。でも、その人が他の人とどんな会話をして、どういった関係性を持って生活しているのか、その人が置かれている環境を知ることができれば、その人の性格を理解することができますよね。
タンパク質の機能も同じで、いろいろなものと幾度も相互作用をしながら、何かに影響を及ぼしています。ですから、試験管の中で一種類だけのタンパク質を観察するよりも、実際にタンパク質が置かれている場も踏まえて研究してみたいと考えました。
こうした中、当時の教授の前田先生が、二次元電気泳動法によるタンパク質の比較と同定技術を組み合わせたプロテオーム解析の可能性に早い段階で気付き、研究室に質量分析計が導入されました。現在は、前田先生が2005年に立ち上げられた理学部附属疾患プロテオミクスセンターを引き継ぎ、疾患や生命現象に関係する重要なタンパク質を探すことを目的に研究を行っています。
3.血液~研究対象としての魅力
―― 物理学のバックグラウンドをお持ちの小寺先生ですが、先生が研究対象として、なぜ血液を選ばれたかについて聞かせてください。
小寺: Orbitrap(オービトラップ)が発売された2005年以降、MSによるタンパク質測定の精度と深度が急速に進歩してきています。それにより、組織や細胞における生命現象、疾患にかかわるタンパク質の詳細な分析が可能になりました。しかし、比較的採取が容易な血清・血漿といった血液試料は、体中のあらゆる情報を含んでいるにも関わらず、組織や細胞に比べるとその分析は非常に困難であると言われています。
その原因の一つに、血漿中に含まれる高濃度の特定タンパク質の存在が挙げられます。血漿中のタンパク質は10,000種類以上存在しています。しかし、アルブミンやIgG等の約20種類のタンパク質が血漿中の全タンパク質量の99%を占めています。つまり、残りたった1%の中に、ほとんどのタンパク質が含まれるということになります。我々のターゲットとなる生理活性ペプチドやインターロイキンなどはさらに量が少なく、アルブミンやIgGの濃度と比べて8桁から11桁ほど低くなります。このように、極めて広い濃度のダイナミックレンジの中で、微量成分を見つけなければいけないということが、血液分析を困難にしている理由です。
さらに、血液中のタンパク質は多種多様な修飾と切断を受けています。例えば100万分の1の確率で起こる切断があったとします。100万分の1の確率で偶然にできたアルブミンなどの高濃度成分の切断産物でも、生理活性ペプチドやインターロイキンよりも100倍以上濃度が濃いのです。そこに個体差が加わるので複雑性はさらに高くなります。しかしながら、それこそが生命現象の本質ですから、そこをどう紐解いていくかが重要となります。
現在、我々が目指している成分は、競泳用プールいっぱいのさまざまな種子の中から1,000~10,000粒のゴマを取り出し、その中に入っている黒ゴマと白ゴマの数を比較することに匹敵しています。もし、それを見つけ出すための技術を開発して応用できれば、医学や生命科学の進展に貢献できると考えて、日々大学院生・4年生と研究を進めています。
―― 現在はどのような研究をされているのでしょうか。
小寺 : 私の興味は、見えていないものを見るための技術を開発することです。現在はその対象を血液中のタンパク質とペプチドとしています。その理由は、非常に重要であるにもかかわらず、上記の通り、その詳細を知るには困難な部分が多く、まだまだ血液がもつ本来のポテンシャルを引き出せていないからです。そのために、「血液一滴の可能性を拓く」を大目標として、血液から少しでも多くの情報を得る方法の開発を目指して大学院生、4年生とともに日々研究を進めています。その結果として、医学や生命科学の最先端の現場に立ち合い、その発展に貢献できれば非常に嬉しいことであると考えています。
研究室は理学部物理学科に属しており、大学院生、4年生は全員物理学科出身ですが、理学部附属疾患プロテオミクスセンターで研究している若手のメディカルドクター、生物をはじめとしたさまざまな分野の研究者、大学院生、研究支援者と毎週ミーティングを持ちながら一緒に研究を行っています。
―― 血液という技術的に分析そのものが困難な対象物を研究ターゲットとして、さまざまな分野の最先端研究に従事されている小寺先生ですが、研究における課題やニーズはあったのでしょうか。
小寺: 技術的な部分でいうと、複雑なものを正確にとらえるための分解能、精度が足りず、従来の装置で我々が対象とするネイティブペプチドを同定することは、タンパク質のトリプシン消化物と比較にならないぐらい困難でした。それを解決するには分解能と精度が必要だということになり、高分解能のQ Exactiveを検出器として、また感度改善のために前段部分にはコンベンショナル-LCではなくナノフローLCを選択しました。
―― ご導入頂いたナノフローLCのEASY-nLCの第一印象や性能はどういったものでしたか。
小寺: EASY-nLCの第一印象は非常にコンパクトで、シンプルな構成の装置だなと思いました。
ナノフローLCは、なかなかのじゃじゃ馬と言われていましたから、装置に求めていたのは感度に加えて『堅牢性』と『安定性』です。感度も重要ですが、各種のメソッドを開発している側からすると、繰り返し行う実験評価のためには、安定的なデータ取得が必要不可欠です。また、大学は教育機関なので、学生が装置を使います。プロテオミクスのスペシャリストでなければ使えないような、不安定な装置では困るわけです。だから本当に使えるのか、少し不安はあったのですが、問題なく使用することができています。安定かつ堅牢で、そして手間がかからないでほしいと思っていましたが、そういった部分ではEASY-nLCを選んで正解だったと思っています。
立ち上がって動き始めてからは、まさに期待通りに働いてくれています。四六時中稼動していますので、トラブルがないとはいえませんが、消耗部品の交換が主です。また、最近では、電話対応で故障個所を絞り込み、多くの場合には大学院生が部品の交換を行って対応することが可能になってきています。そういう意味では、複雑でユーザー対応が難しい装置ではなく、できるだけシンプルでありながら、しっかりとした構成の、手堅く作られた装置だと感じています。用途は幾分限られますが、できることに関しては可能な限りシンプルな構成で作られていてトラブルが起きにくいシステムになっているように感じています。そこがいいですね。
―― 現在も学生の皆さんが使用されているというEASY-nLC。今の状況とサポートについてはいかがでしょうか。
小寺 : 昨年からM2の学生(現在D1)がnLCを担当しています。もちろん数か月に1回程度はリークが発生したりもしますが、パーツ交換も学生本人がやっていますね。ただ始めから安定したEASY-nLCを使っている若い人は、他のナノフローLCがどの程度じゃじゃ馬なのかを知らないので、これが当たり前と思っているところがあります。そのため、「本当はとても大変なんだぞ。」と学生たちには言っています。
サポートについてですが、私個人の感想としては、すばやく対応いただいているので非常に助かっていますし、満足しています。個人の顔が見えていて、技術やアプリケーション、営業の方など、個人個人、ダイレクトに話をさせてもらっていますから、信頼関係が生まれますよね。私自身日本プロテオーム学会のトレーニングコースなどを企画しており、さまざまなユーザーの人と話す機会があるのですが、最初は技術的な部分をどのように問い合わせればよいかわからないという意見を聞くこともあります。ですから、会社が大きくなっても『個』が見えるという良い部分は残して、さらにユーザーフレンドリーなサービスをお願いしたいと思います。
5.多彩な分野とのクロストークが実現するプロテオミクスの研究現場
―― アカデミアに席を置く小寺先生。今後も学生さんと一緒にさまざまな研究に取り組まれていくということですが、今後の研究展望についてお聞かせください。
小寺 : まずは、やはり、血液一滴のもつ可能性を広げることが目標です。これだけ技術の進んだ今日も近い将来も人の臓器はそう簡単に取り出せません。だからこそ、取り出せない臓器の情報を血液で掴むことが必要と考えています。しかし、現状では全体像の把握はもとより、各種臓器から漏れ出した微量成分の情報はまだほとんど捉えられていません。臨床応用も大事ですが、その前に、基礎技術を積み重ねて血液からの情報を増やしていくことをしっかりやっていきたいですね。それによって得られる情報が増え、血液プロテオームの全体像が見てくると、生命現象や疾患における個々のタンパク質・ペプチドのもつ意味も理解できてくると考えています。
プロテオームは応用分野がとても広い。疾患を研究する医学部だけではなく、薬学や水産関係、植物の研究にも応用されています。プロテオミクス自体が、1995年に初めてできた若い言葉なので、その裾野は今後まだまだ広がる可能性がありますし、実際、今できることもどんどん広がっています。技術的なレベルを押し上げながら、プロテオミクスの応用分野を広げ、最先端の研究をさまざまな分野の先生方と一緒に進めていきたいと考えています。
6.永続可能なプロテオミクス研究の場を創造する
小寺 : 企業だとやはり収益が重要になりますから、収益につながらないことを続けるというのはとても難しいですよね。一方、アカデミアであれば、長い時間をかけないと結果がでないようなチャレンジングな、だけど重要な研究、たとえば、血液のような、さまざまな分野の基盤となる研究に従事できる環境があるのが魅力的です。
また、アカデミアの根幹には教育があります。今私は生命をさらに理解するためにタンパク質の研究をしていますが、そういう分野が面白いと思っている学生さんと一緒に研究ができる部分にも魅力を感じています。しっかりと今の最先端技術を若い人に伝えながら、新たな技術革新にチャレンジしたいですし、その技術を使って生命をより深く理解する楽しさを伝えたいですね。さらに、それができれば、教育を通じて、プロテオミクス分野を活性化できます。そこもアカデミアの魅力だと思っています。
また、プロテオミクスが活性化して裾野が広がれば、学生さん達だけでなく、さまざまな研究機関でプロテオミクス研究をやっている人たちの働き場が増えます。そうすると今度はプロフェッショナルな研究履歴を持った人たちがその分野に就職できますから、その分野がさらに発展する可能性ができます。それによって、さらにプロテオミクスのプレゼンスが高まるでしょう。このことはとても重要だと思うので、教育機関だからできることの一つとして、各種関連学会と連携して進めていきたいと思っています。
7. 今回のお客様
北里大学 理学部物理学科物性物理学研究室 小寺 義男(PhD)先生
北里大学 理学部物理学科物性物理学研究室・教授
北里大学 理学部附属疾患プロテオミクスセンター・センター長
8. 編集後記
小寺先生の研究室では研究の他に重要な活動がもう一つあります。それはBBQ。ただのBBQではなく『ちょっとお洒落な大人のBBQ』です。アヒージョ、燻製、ローストチキンなどなど、美味しいメニューをみんなで作るBBQの月一開催を目指しているそうです。その活動を通じて「気の利いた動きができる人になってほしい」との願いが込められたこのBBQには、プロテオミクス分野の名だたる重鎮たちが顔を出すこともあるそうで、学外の研究者の方々とお話をして、研究のネットワークを広げる機会にもなっているそうです。
プロテオミクスという切り口で、医学や生命科学に挑戦したい方、また、楽しくて真剣な研究室で研究をしてみたいという方、小寺先生の研究室の扉を是非叩いてみてください。(田口)
9. 関連情報
研究用にのみ使用できます。診断目的およびその手続き上での使用はできません。