細胞培養における培養条件は、各細胞型によって異なることに注意が必要です。特定の細胞型に必要とされる培養条件から逸脱することは、異常な細胞型の発現から、細胞培養の完全な失敗に至る様々な結果を引き起こす可能性があります。そのため、取り扱う細胞系に精通し、実験に使用する各製品付属の説明書の記載内容に厳密に従われることを推奨します。
今回は、細胞培養系における培養細胞の通常の継代に関する、知っておくべき基礎知識をご紹介します。
継代とは?
継代は、植え継ぎとも呼ばれ、培養系から培地を除去し、細胞を新しい培地に移す操作を指し、細胞系および細胞株がさらに増殖することを可能にする方法です。
培養系中の細胞の成長は、播種に続く誘導期から、細胞が指数関数的に増殖する対数増殖期へと進んで行きます。接着培養系の細胞が、培地表面を覆い尽くし、さらに増殖可能な場所が存在しなくなった時、または浮遊培養系の細胞がさらなる成長を支える培地の容量を超えた時、細胞増殖は大きく減退、または完全に停止します(下図を参照してください)。細胞を、継続的に成長が行える最適な密度に保ち、そのさらなる増殖を促すためには、培養系を分割し、新しい培地を供給することが必要です。
継代の時期
継代の必要性を決定する基準は、接着培養と浮遊培養で類似していますが、哺乳類細胞と昆虫細胞では若干の差があります。
細胞密度
哺乳類細胞
接着性細胞は、コンフルエントに達する前の対数増殖期に植え継ぎをすることが必要です。正常な細胞は、コンフルエントに達すると成長を停止し(接触阻害)、植え継ぎから回復するのにより長時間を要します。形質転換した細胞は、コンフルエントに達した後も増殖を継続することが可能ですが、一般に2回の倍化後、劣化します。同様に、浮遊培養細胞も、コンフルエントに達する前の対数増殖期に植え継ぎをすることが必要です。浮遊培養細胞は、コンフルエントに達すると凝集し、培養フラスコを振り混ぜると、培地が濁って見えます。
昆虫細胞
昆虫細胞は、コンフルエントに達する前の対数増殖期に継代することが必要です。堅固に接着した昆虫細胞は、培養容器からの剥離が容易になる、コンフルエントに達した状態で植え継ぎをすることが可能ですが、コンフルエント状態を超える密度で植え継ぎを繰り返した細胞では、倍化時間の減少、生存率の低下、および接着性の低下が見られます。一方、接着培養している昆虫細胞の、コンフルエントに達する前の植え継ぎには、単層から細胞を分離するために、より大きな機械的力が必要です。コンフルエントに達する前の継代を繰り返すと、これらの細胞もまた、倍化時間の減少および生存率の低下を示し、不健康であると見なされます。
培地の栄養物の枯渇
哺乳類細胞
増殖培地のpHの低下は一般に、細胞代謝の副産物である、乳酸の蓄積を示唆します。乳酸は細胞にとって有毒である場合もあり、pHの低下は細胞の成長にとって最適ではありません。pHの変化の速度は一般に、培養液中の細胞濃度に依存しており、細胞密度が高い場合には、細胞密度が低い場合よりも培地の枯渇が速くなります。細胞密度が増加し、pHの急速な低下(0.1~0.2を超えるpHの低下)が見られる場合には、継代の必要があります。
昆虫細胞
昆虫細胞は一般に、哺乳類細胞に使用される培地に比べてより酸性の増殖培地で培養されます。例えば、Sf9細胞の培養に使用されるTNM-FHおよびグレース培地のpHは6.2です。哺乳類細胞とは異なり、昆虫細胞においては、成長に伴いpHは徐々に上昇しますが、一般にpH6.4を超えることはありません。しかし、哺乳類細胞と同様に、昆虫細胞も密度が上昇すると増殖培地のpHは低下し始めます。
継代のスケジュール
厳密なスケジュールに従って細胞の植え継ぎを行うことで、細胞の性質の再現性が保証され、その健康状態を監視することが可能です。ご使用になる細胞の播種密度を、当該細胞に適切な成長速度および収率が得られるまで、一定の値から変化させてください。成長パターンからの逸脱は、培養細胞が不健康である(例: 劣化および汚染)、または細胞培養系の成分が正しく機能していない(例:温度が最適でない、または培地が古すぎる)ことを示唆しています。詳細な細胞培養記録を作成し、補給および継代のスケジュール、使用した培地の種類、分離法、分離比、形態学的観察結果、播種濃度、収率および抗生物質の使用を記録されることを強く推奨します。
実験および特別な操作(例: 培地の種類の変更)は、継代のスケジュールに合わせて行うのが最も理想的です。実験計画が、確立された継代のスケジュールに合致しない場合、細胞が誘導期にある間、またはコンフルエントに達して増殖が停止している時には、決して植え継ぎを行わないように注意してください。
一般的な細胞系に推奨される培地
不死化哺乳類細胞系は、血清を添加したMEMなどの比較的単純な培地上で維持することが可能で、またMEM中で培養された細胞は、おそらくDMEMおよびMedium 199培地においても、同様に容易に培養することが可能であると考えられます。しかし、特別な機能が発現されている場合には、より複雑な培地が必要になる可能性があります。特定の細胞に対して適切な培地を選択するための情報は、一般に文献から入手可能であり、細胞の供給者または細胞バンクからも入手可能な場合があります。
ご使用の細胞型に関する情報が入手不可能な場合、増殖培地および血清を経験に基づいて選択するか、または数種類の異なる培地を試験して、最適な結果の得られる培地を見つけ出してください。一般的には、接着細胞にはMEM、浮遊細胞にはRPMI-1640が、培地検討の良好な出発点として使用できます。下表の条件は、新しい哺乳類細胞培養をセットアップする際のガイドラインとしてご使用いただけます。
昆虫細胞は、哺乳類細胞に使用される増殖培地よりも一般により酸性度の高い増殖培地である、TNM-FHおよびグレース培地など用いて培養されます。
哺乳類培養細胞 | ||||
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細胞系 | 細胞型 | 種 | 組織 | 培地※ |
293 | 線維芽細胞 | ヒト | 胚腎臓 | MEMおよび10% FBS |
3T6 | 線維芽細胞 | マウス | 胚 | DMEMおよび10% FBS |
A549 | 上皮性細胞 | ヒト | 肺癌 | F-12Kおよび10% FBS |
A9 | 線維芽細胞 | マウス | 結合組織 | DMEMおよび10% FBS |
AtT-20 | 上皮性細胞 | マウス | 下垂体腫瘍 | F-10, 15% ウマ血清および2.5% FBS |
BALB/3T3 | 線維芽細胞 | マウス | 胚 | DMEMおよび10% FBS |
BHK-21 | 線維芽細胞 | ハムスター | 腎臓 | GMEMおよび10% FBSまたはMEM、10% FBSおよびNEAA |
BHL-100 | 上皮性細胞 | ヒト | 乳房 | McCoy’s 5Aおよび10% FBS |
BT | 線維芽細胞 | ウシ | 鼻甲介細胞 | MEM、10% FBSおよびNEAA |
Caco-2 | 上皮性細胞 | ヒト | 大腸腺癌 | MEM、20% FBSおよびNEAA |
Chang | 上皮性細胞 | ヒト | 肝臓 | BMEおよび10% 仔ウシ血清 |
CHO-K1 | 上皮性細胞 | ハムスター | 卵巣 | F-12および10% FBS |
Clone 9 | 上皮性細胞 | ラット | 肝臓 | F-12Kおよび10% FBS |
Clone M-3 | 上皮性細胞 | マウス | メラノーマ | F-10, 15% ウマ血清および2.5% FBS |
COS-1, COS-3, COS-7 | 線維芽細胞 | サル | 腎臓 | DMEMおよび10% FBS |
CRFK | 上皮性細胞 | ネコ | 腎臓 | MEM、10% FBSおよびNEAA |
CV-1 | 線維芽細胞 | サル | 腎臓 | MEMおよび10% FBS |
D-17 | 上皮性細胞 | イヌ | 骨肉腫 | MEM、10% FBSおよびNEAA |
Daudi | リンパ芽球細胞 | ヒト | リンパ腫患者の血液 | RPMI-1640および10% FBS |
GH1, GH3 | 上皮性細胞 | ラット | 下垂体腫瘍 | F-10, 15% ウマ血清および2.5% FBS |
H9 | リンパ芽球細胞 | ヒト | T細胞リンパ腫 | RPMI-1640および20% FBS |
HaK | 上皮性細胞 | ハムスター | 腎臓 | BMEおよび10% 仔ウシ血清 |
HCT-15 | 上皮性細胞 | ヒト | 結腸直腸腺癌 | RPMI-1640および10% FBS |
HeLa | 上皮性細胞 | ヒト | 子宮頸癌 | MEM、10% FBSおよびNEAA (S-MEM懸濁) |
HEp-2 | 上皮性細胞 | ヒト | 喉頭癌 | MEMおよび10% FBS |
HL-60 | リンパ芽球細胞 | ヒト | 前骨髄球性白血病 | RPMI-1640および20% FBS |
HT-1080 | 上皮性細胞 | ヒト | 線維肉腫 | MEMおよび10% HI FBSおよびNEAA |
HT-29 | 上皮性細胞 | ヒト | 大腸腺癌 | McCoy’s 5Aおよび10% FBS |
HUVEC | 内皮性細胞 | ヒト | 臍帯 | F-12Kおよび10% FBSおよび100 µg/mL ヘパリン |
I-10 | 上皮性細胞 | マウス | 精巣腫瘍 | F-10, 15% ウマ血清および2.5% FBS |
IM-9 | リンパ芽球細胞 | ヒト | 骨髄腫患者の骨髄 | RPMI-1640および10% FBS |
JEG-2 | 上皮性細胞 | ヒト | 絨毛癌 | MEMおよび10% FBS |
Jensen | 線維芽細胞 | ラット | 肉腫 | McCoy’s 5Aおよび5% FBS |
Jurkat | リンパ芽球細胞 | ヒト | リンパ腫 | RPMI-1640および10% FBS |
K-562 | リンパ芽球細胞 | ヒト | 骨髄性白血病 | RPMI-1640および10% FBS |
KB | 上皮性細胞 | ヒト | 口腔癌 | MEMおよび10% FBSおよびNEAA |
KG-1 | 骨髄芽球細胞 | ヒト | 赤白血病患者の骨髄 | IMDMおよび20% FBS |
L2 | 上皮性細胞 | ラット | 肺 | F-12Kおよび10% FBS |
LLC-WRC 256 | 上皮性細胞 | ラット | 癌 | Medium 199および5% ウマ血清 |
McCoy | 線維芽細胞 | マウス | 未知 | MEMおよび10% FBS |
MCF7 | 上皮性細胞 | ヒト | 乳腺癌 | MEMおよび10% FBSおよびNEAAおよび10 µg/mL インシュリン |
WI-38 | 上皮性細胞 | ヒト | 胎児肺 | BMEおよび10% FBS |
WISH | 上皮性細胞 | ヒト | 羊膜 | BMEおよび10% FBS |
XC | 上皮性細胞 | ラット | 肉腫 | MEMおよび10% FBSおよびNEAA |
Y-1 | 上皮性細胞 | マウス | 副腎腫瘍 | F-10, 15% ウマ血清および2.5% FBS |
昆虫細胞培養 | |||
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細胞系 | 種 | 組織 | 培地※ |
Sf9, Sf21 | ツマジロクサヨトウ (Spodoptera frugiperda) |
蛹の卵巣 | TNM-FHおよび10% FBSまたはSf-900 II SFM (無血清)またはSf-900™ III SFM (無血清) |
High Five™ (BTI-TN-5B1-4) | キャベツシャクトリムシ (Trichoplusia ni) |
卵巣 | TNM-FHおよび10% FBSまたはExpress Five® SFM (無血清) |
Schneider 2 (S2), D.Mel-2 | ショウジョウバエ (Drosophila melanogaster) |
シュナイダーショウジョウバエ培地および10%非働化FBS |
※BME: Basal Medium Eagle(イーグル基礎培地)、DMEM: Dulbecco’s Modified Eagle Medium(ダルベッコ変法イーグル培地)、FBS: Fetal Bovine Serum(ウシ胎児血清)、GMEM: Glasgow Minimum Essential Medium(グラスゴー最小必須培地)、IMDM: Iscove’s Modified Dulbecco’s Medium(イスコフ改変ダルベッコ培地)、MEM: Minimum Essential Medium(最小必須培地)、NEAA: Non-Essential Amino Acids Solution(非必須アミノ酸溶液)、TNM-FH: Trichoplusia ni Medium-Formulation Hink(サプリメントを添加したグレース昆虫培地)
接着細胞の解離
接着細胞の継代の第1段階は、細胞を培養容器から、酵素または機械的な方法で剥離することです。様々な細胞解離の方法を下表に示します。
方法 | 解離剤 | 適応対象 |
振り落とし | 培養容器の穏やかな振り混ぜ、または激しいピペッティング | 接着性の弱い細胞および有糸分裂細胞 |
スクレーピング | 細胞スクレーパー | タンパク質分解酵素に対する感受性の高い細胞系。細胞を損傷する可能性もあります。 |
酵素的解離 | トリプシン | 接着性の高い細胞 |
トリプシン+コラゲナーゼ | 高密度の培養細胞、複数の層を形成している細胞、特に線維芽細胞。 | |
ディスパーゼ | コンフルエントに達した上皮細胞の分離。培養皿の表面から、細胞を解離することなく、細胞シートとして分離します。 | |
TrypLE™ 解離用酵素 | 接着性の強い細胞。トリプシンの代用。動物由来でない試薬を必要とする場合に使用します。 |
TrypLE解離用酵素
Gibco™ TrypLE™ ExpressおよびGibco™ TrypLE™ Selectは、微生物生産された細胞解離用酵素で、トリプシンと同様の動態および切断特性を示します。細胞の解離においては、プロトコールの変更を行うことなく、トリプシンを直接TrypLE酵素で置き換えることが可能ですが、最良の結果を得るためには、まず解離のためのインキュベーション時間の最適化を行われることを推奨します。
TrypLE酵素は、遺伝子組換えの真菌性トリプシン様タンパク質分解酵素ですので、動物由来でない試薬を必要とする実験には理想的です。TrypLE ExpressおよびTrypLE Selectと、トリプシンとの比較を下表に示します。
TrypLE ExpressおよびTrypLE Select | トリプシン |
動物およびヒト由来の成分は、一切不含 | ブタまたはウシ由来 |
室温で最低6ヵ月は安定 | 室温では不安定 |
不活化の必要なし | 血清またはその他の阻害剤による不活化が必要 |
トリプシン不活化剤を必要なし | トリプシン不活化剤が必要 |
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