はじめに
細胞培養の大きな利点の一つは、細胞が増殖する環境の内、物理化学的環境(例: 温度、pH、浸透圧、酸素分圧および二酸化炭素分圧)および生理学的環境(例: ホルモンおよび栄養素の濃度)を調節できることです。温度を除いて、培養環境は培地によって制御されます。
培養の生理学的環境は、まだ物理化学的環境ほど詳細に明らかにされていませんが、血清成分のより深い理解、細胞増殖に必要な成長因子の同定、および培養物中の細胞のミクロな環境(例: 細胞間相互作用、気体の拡散および基質との相互作用)のより深い理解によって、現在、特定の細胞系では無血清培地での培養が可能となっています。
今回は培地の組成やpH、温度など細胞培養における培養環境についてご紹介します。
接着培養と浮遊培養の特徴
細胞培養の基本的なシステムには、細胞を人工基質上で単層に成長させるシステム(すなわち、接着培養)と、細胞を培地中で自由に浮遊させて成長させるシステム(すなわち、浮遊培養)の2種類が存在します。
脊椎動物に由来する細胞は、造血細胞系およびその他少数の細胞系を除き、その大部分が接着依存性であり、細胞の接着と拡散が可能となるような特別な処理(すなわち、組織培養処理)が施された、適切な基質上で培養される必要があります。しかし、多くの細胞系は、浮遊培養にも適応することが可能です。同様に、市販の昆虫細胞系の大部分は、単層培養においても浮遊培養においても十分に成長します。
浮遊培養されている細胞は、組織培養処理されていない培養フラスコ中で維持することが可能です。しかし、表面積あたりの細胞容量が、十分な気体交換が妨げられる程度(通常、0.2 ~0.5 mL/cm2)を超えて増加すると、培地を攪拌することが必要です。攪拌には通常、マグネチックスターラーまたはスピナーフラスコが使用されます。
接着培養 | 浮遊細胞 |
初代培養を含む、大部分の細胞型に適しています。 | 浮遊培養に適応化した細胞および他のいくつかの非接着性の細胞系(例: 造血細胞)に適しています。 |
定期的な植え継ぎが必要ですが、倒立顕微鏡下で容易に目視観察することが可能です。 | 植え継ぎは容易ですが、成長パターンの追跡には、毎日の細胞カウントと成長率決定が必要です。成長を促進するために、培養物を希釈することが可能です。 |
細胞は、酵素的(例: Gibco™ TrypLE™ Expressおよびトリプシン)または機械的に解離する必要があります。 | 酵素的または機械的解離の必要はありません。 |
成長は、表面積により規定され、そのため収量が限定される場合があります。 | 成長は、培地中の細胞濃度によって規定され、容易にスケールアップすることが可能です。 |
組織培養処理した容器が必要です。 | 組織培養処理していない容器中でも培養が可能ですが、十分な気体交換のために攪拌(振とうまたはかき混ぜ)が必要です。 |
細胞学や継続的な培養産物の回収およびその他多くの研究に利用されています。 | タンパク質のバルク生産、バッチ回収およびその他多くの研究に利用されています。 |
培地
培地は、細胞の成長に必要な栄養素、成長因子およびホルモンを供給し、また培養液のpHおよび浸透圧を制御するため、培養環境の中で最も重要な要素であると言えます。
初期の細胞培養実験は、組織抽出物や体液から得られる自然の培地を利用して行われていましたが、標準化の必要性、培地の品質の問題、および需要の増加から、合成培地が開発されました。基本的な培地の分類には、基本培地、血清低減培地および無血清培地の三種類があり、それぞれ添加する血清の必要量が異なります。
血清は、基本培地中での細胞の培養において、成長因子、接着因子、ホルモン、脂質およびミネラルの供給源として必要不可欠な重要因子です。さらに、血清は細胞膜の透過性を制御し、脂質、酵素、微量栄養素および微量元素を細胞へ取り込むキャリアとしての働きを持ちます。しかし、培地中での血清の使用には、高いコスト、標準化の問題、特異性、多様性、および特定の培養細胞における成長や細胞機能の刺激または抑制のような望ましくない効果を含め、多くの欠点も存在します。また、血清を信頼のおける供給者から入手しなかった場合には、血清の汚染のために、細胞培養実験の成功が大きく脅かされる可能性があります。このような危険を回避できるよう、血清を含めたすべてのサーモフィッシャーサイエンティフィックおよびGibco™製品に関しては、汚染物質の検査が行われており、その品質、安全性、一貫性および規制遵守は保証されています。
基本培地
大部分の細胞系は、基本培地中で良好に成長します。基本培地には、アミノ酸、ビタミン、無機塩およびグルコースなどの炭素源が含まれていますが、これらの基本培地成分には、血清をさらに添加することが必要です。
血清低減培地
細胞培養実験において、血清の望ましくない効果を低減させるもう一つの方法として、血清低減培地の使用があります。血清低減培地は、栄養素および動物由来の因子を添加した基本培地で、必要な血清の量を低減できます。
無血清培地
無血清培地(SFM)では、血清を適切な栄養成分およびホルモン成分で置き換えることにより、動物血清使用の問題を回避できます。チャイニーズハムスター卵巣細胞(CHO)の遺伝子組換えタンパク質産生細胞系、種々の融合細胞系、昆虫細胞系のSf9およびSf21(Spodoptera frugiperda)およびウイルス生産の宿主となる細胞系(例: 293、VERO、MDCKおよびMDBK)、およびその他の細胞を含む多くの初代培養および細胞系に対する無血清培地が存在します。無血清培地を使用する最も大きな利点の一つは、適切な成長因子の組み合わせを選択することによって、特定の細胞型に選択的な培地の調製が可能となることです。無血清培地の利点および欠点を下記の表にまとめてあります。
利点 | 欠点 |
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pH
正常な哺乳類細胞系の大部分は、pH7.4で良好に生育し、細胞株間の多様性は殆ど存在しません。しかし、いくつかの形質転換細胞系は、わずかに酸性寄りの環境(pH 7.0~7.4)でよりよく生育することが示されています。また、正常な線維芽細胞のいくつかは、わずかに塩基性側の環境(pH 7.4~7.7)を好みます。Sf9やSf21などの昆虫細胞系では、pH 6.2が最適な成育環境です。
CO2
増殖培地は、培養物のpHを制御し、pHの変化の培養細胞に対する影響を和らげます。一般に、この緩衝作用は有機化合物(例: HEPES)または二酸化炭素・重炭酸塩ベースの緩衝液を含むことによって達成されます。培地のpHは、溶解している二酸化炭素(CO2)および重炭酸塩(HCO3–)の微妙なバランスに依存しているため、培地のpHは大気中のCO2によって変化します。このため、二酸化炭素・重炭酸塩ベースの緩衝液で緩衝されている培地を使用する際には、外来性CO2を使用することが必要であり、特に、開放型の培養皿を用いて細胞を培養する場合や、形質転換した細胞を高濃度で培養する場合には必要とします。研究者の大部分は、大気中5~7%のCO2を使用しており、細胞培養実験の大部分では4~10%のCO2が一般的に使用されています。しかし、各培地には、適正なpHと浸透圧を達成するための、推奨CO2分圧および重炭酸塩濃度が存在します。さらに詳しい情報に関しては、培地製造メーカーの説明書を参照してください。
温度
細胞培養の最適温度は、細胞が分離された宿主の体温に大きく依存し、温度の解剖学的差異にもある程度依存します(例: 皮膚の温度は、骨格筋の温度より低い場合があります)。細胞培養においては、過度の低温よりも、過度の高温の方が重篤な問題です。そのため、インキュベーター内の温度はしばしば、最適温度よりもわずかに低い温度に設定されています。
- ヒトおよび哺乳類の細胞系の大部分は、生育の最適化のために、36°Cから37°Cの温度で維持されます。
- 昆虫細胞は、生育の最適化のために27°Cで培養されます。27°Cよりも低い温度、および27°Cから30°Cの温度では、生育が遅くなります。30°Cを超えると、昆虫細胞の生存率は低下し、その後温度を27°Cに戻しても、細胞は回復しません。
- 鳥類の細胞系は、最大成長のために、38.5°Cを必要とします。37°Cでも維持することが可能ですが、成長が遅くなります。
- 冷血動物(例: 両生類および冷水魚)由来の細胞系は、15°Cから26°Cの広範囲の温度に耐えられます。
※細胞培養条件は、各細胞型によって異なることに注意してください。特定の細胞型に必要とされる培養条件からの逸脱は、異常な細胞型の発現から、細胞培養の完全な失敗に至る様々な結果を引き起こす可能性があります。そのため当社では、取り扱う細胞系に精通し、実験に使用する各製品付属の説明書の記載内容に厳密に従われることを推奨します。
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