未知化合物同定のやり方を解説
ライフサイエンス研究におけるシグナルに特異に応答するバイオマーカー、食品分野における新規生理活性を示す二次代謝物質、そして材料化学分野における製品比較により見つかった特徴的な成分など、特定のピーク成分の正体を突き止める未知化合物の同定は、分野を問わず重要なステップであり、かつもっとも困難なステップの一つです。このブログでは、高分解能質量分析計を用いた未知化合物同定について解説します。
未知化合物同定に必要なものとは
未知化合物の同定にはデータの情報量と精度が非常に重要です。
情報が正確かつ多ければ多いほど、確度の高い候補化合物を絞り込みができ、化合物の同定につながります。
重要な情報は主に下記の三つです。
- 精密質量
- 同位体情報
- MS/MSスペクトル
これらは、それぞれに組成式・含有元素・部分構造を推定する根拠になります。そして、得られた情報を総合することで、候補化合物の絞り込みができるのです。
では具体的に、どのような作業が必要になるのでしょうか。
精密質量の計測
精密質量・同位体情報は、質量分析によって明らかになります。質量分析計を使用して、未知化合物の精密質量を計測していきましょう。
精密質量の計測に重要なのは、質量精度です。
下記は0.01 Da(10 mDa)の質量精度のデータの解析結果です。
±10 mDa の質量精度で観測されたこのデータは、候補を十分に絞り込めず233もの候補化合物があげられます。
一方、Thermo Scientific™ Orbitrap™質量分析計は、内標準法で±1 ppmのデータが観測できます。
今回観測されているイオンの場合、およそ±0.3 mDa の質量精度となり、
およそ30倍の精度で、8候補化合物まで絞り込めます。
高い質量精度をもつOrbitrapを使用することで、候補化合物をおよそ40分の1まで絞り込めたことになります。
同位体イオンの検出
次に行うのは、同位体イオンの検出です。
同位体とは同一の元素番号を持つ、すなわち同一元素ですが、中性子の数が異なる原子のことです。中性子の数が違うため、質量が異なっている、ということがポイントになります。先ほどと同じスペクトルを使用して、同位体イオンを検出しましょう。
図で強調されているのが同位体イオンです。この同位体イオンのシグナルを詳細に解析し、同位体の自然存在比と照らし合わせることで、
さらに候補化合物を絞り込むのです。
たとえば、この場合だとモノアイソトピックイオン(もっとも強度の大きいイオン)に対し、炭素(C)由来と考えられる第一同位体イオンが約15%検出されていることから、この未知化合物に含まれる炭素は10~20と考えられます。このように同位体イオンの情報から元素数を制限することで、八つの候補化合物を三つにまで絞り込めます。
さらに、高い分解能を生かして、スペクトルを拡大してみましょう。
拡大してみると、大きなシグナルの横に小さな二つのシグナルがあることが確認できます。
これらは異なる元素由来の同位体イオンです。これを解析すると、さらに候補化合物の絞り込むことができ、最終的に組成式はC15H22ClNO2であることが導出されます。
OrbitrapとToFの比較
すこし脱線しますが、補足として高分解能質量分析計の原理が異なることで得られるデータの違いについてご説明します。
今回ご紹介しているのはOrbitrap質量分析計ですが、そのほかの代表的な高分解能質量分析計として飛行時間型(Time of Flight)質量分析計があります。
下の図はOrbitrap質量分析計と飛行時間型質量分析計の質量分解能を、比較したものです。
Orbitrap質量分析計は低いm/zほど質量分解能が高く、ルートに反比例するのに対し、飛行時間型質量分析計は、低いm/zほど質量分解能が低くなる傾向があります。未知の低分子化合物の組成式を絞り込むにあたり、高い分解能で元素特有の同位体イオンを分離して検出することは非常に有用であるため、Orbitrap質量分析計は未知化合物の同定に適した情報を提供できるといえるでしょう。
組成解析をサポートするスペクトル解析ソフト
さて、話を組成式の同定に戻しましょう。
先ほど組成式を決定することに成功したわけですが、先ほど行った目視での分析作業を毎回行うのはやはり大変です。もっと簡単な方法はないのでしょうか?
実はあるんです。
サーモフィッシャーサイエンティフィックのFreeStyleというスペクトル解析ソフトを使えば、取得したスペクトルから自動で候補化合物の絞り込みを行うことができます。
このソフトは、実測のデータと、推定される化合物のシミュレーションデータを自動的に比較し、候補組成式のランキングを表示してくれるのです。スペクトルを取得し、スペクトル解析ソフトで分析すればよいのですから、これを使えば分析者の負担を各段に軽減できます。
化学構造情報は?
ここまで組成式の同定についてお話してきましたが、実は組成式だけでは、化合物の同定には至りません。なぜなら、同一の組成式から考えられる化学構造は数百~数千にも及ぶからです。化学構造の情報を得るために、プロダクトイオンを観測するMS/MSスペクトルが有用です。
MS/MSスペクトルの取得法
MS/MSスペクトルを取得するためには、同定対象イオンを不活性ガスと衝突させ、生じたプロダクトイオンを観測する必要があります。
低分子化合物に用いられる方法は主に下記の2種類があり、それぞれに特徴があります。
• CID(衝突誘起解離:シーアイディー)、
• HCD(高エネルギー衝突解離:エイチシーディー)
※仕組みや違いについては、専門知識が必要なため、本記事では割愛します。
これらを使用して、MS/MSスペクトルを取得していきます。
MS/MSスペクトル ライブラリ
さて、取得したMS/MSスペクトルから、化学構造を特定したいわけですが、ここで役立つのがスペクトルライブラリです。
上の図はサーモフィッシャーサイエンティフィックが無料で公開している、MS/MSスペクトルライブラリであるmzCloud ™の画面です。これを使えば、候補化合物の絞り込みと同じように、スペクトルマッチングにより全体構造や部分構造の絞り込みができます。一般的な内因性代謝物に加え、農薬、薬物、工業化学物質、添加剤、二次代謝物などさまざまな構造を持つ化合物クラスをカバーしているので、幅広い用途でご利用いただけます。
mzCloudの2020年10月22日時点での登録数は18,582化合物、7,424,969スペクトルです。
mzCloudのHPから実際のスペクトル情報をご確認ください。
終わりに
いかがだったでしょうか?
未知化合物の同定に必要な情報や、具体的なやり方についてご理解いただけたかと思います。
ライブラリに未登録の化合物の分析や、スペクトル解析の詳しいやり方など、YouTubeでわかりやすく解説していますので、ぜひご覧ください。
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